鈴虫との秋

生後31日の秋分の日、

 

朝から家族で近所の神社にお宮参りしてきました。

 

産まれました。ありがとうございます。

これからもよろしくおねがいします。

 

 

さて突然ですが

精米後の糠を庭に撒いたらアリ🐜が列をなして集まってきたんですよ。

 

 

それを見て子どもたちは大喜び。

 

それからというもの、

すすんで精米をしてくれ、

でた糠を庭に山盛りに。

 

すかさずアリたちが大群でやってきて、

アリ塚のよう。

 

雨の前などは姉弟で協力しあってアリ塚のために簡易の屋根を作ったりしていて

大事にしていました。

 

 

それを、

向かいのおばあちゃんが

あんたらアリ飼ってんの!と驚かれ、

不憫に思ったのか、

 

おばちゃん鈴虫飼ってるからな、

持ってきてあげるわ、と

30匹くらい入っている大きな虫籠を持ってきてくださいました。

 

 

なんでも、

もう20年も飼っているそう。

 

向かいに住んでいるのに、知らなかった。。

 

おばあちゃんは

こまめに餌を補充しにきてくれて、

霧吹きをして、

床の掃除もしてくれる。

 

うちは毎晩リンリンと涼しげな鳴き声だけ堪能させてもらっています。

 

至れり尽くせりです。

 

 

ところで、鈴虫って、

鳴くのはオスだけなんですって。

 

そしてメスは産卵する前にオスを食べることがあるそうです。

 

虫籠の中では逃げ場がないから、

ほとんどが、、

 

食べられてしまうと。

 

 

鈴虫界の営みを、初めて知りました。

 

 

 

 

だからしまいに鳴かへんようになるけど、

そしたらまた箱ごと持って帰るわな、と、

 

床に転がっている、たぶんオスの死骸を割り箸でつまみながらおばあちゃんが言う。

 

鳴き声、減っていくそうです。

 

 

 

あと、オスが鳴くときは

前からみたら2枚の羽が大きく広がって

いかにもこれは鈴虫って感じでかっこいいんだけど

 

後ろからみたら、

羽をまくりあげてあらわになった体の胴体のところが、

 

なんとも虫で、

むしろ苦手な部類の虫だねってかんじで、

言ってしまえば、恥ずかしいかんじで、、

 

 

あんまり直視できずにいます。

 

 

 

それでも夕食の準備をしていると

聞こえてくるリンリンに

(まだ生きてる、とほっとしながら)

風流な秋を感じているのでした。

 

 

 

 

 

 

 

1ヶ月検診

昨日は三人目くんの1ヶ月検診で

 

助産師さんが来てくれました。

 

 

たった2週間ぶりだけど、

お顔を見るとほっと安心します。

 

 

 

私の産後の経過は問題なく、

赤ちゃんも問題なくて

 

ほ。

 

 

 

赤ちゃんの体重が、4500グラムになっていました。

体重の底値から、日に44グラムずつ大きくなっている計算です。

 

 

通りで、最近重いと思っていたのよ。

頬っぺたも膨らんできたなぁと思っていたのよ。

 

 

身長も6センチ伸びて、

50~60サイズの新生児の服はパツンパツンになってきました。

 

 

母乳でここまで大きくできたら大したもんよ。

あなた、いい乳母になれるわ!

 

と、助産師さんにお墨付きをもらいました。

 

 

 

乳母!!(笑)

 

 

 

助産所選び

里帰り出産をすることにしたものの

分娩予約受付終了のトラウマから

急いで産院決めな、出産難民になる~~と、焦っていた私。

 

 

実家に一番近い産婦人科は、  

以前に子宮がん検診と、流産した時にかかったことがあり、

院長先生の対応があまり好きではないなぁと感じていたので、ナシ。

 

県内の産婦人科の口コミサイトを覗いてみましたが

うーん、

たくさんあるし、

よくわからんなぁ。と。

 

そんなときに母が、

あそこの産婦人科はいいって聞くよ。

と 教えてくれて

早速電話をしました。

 

出産予定日と里帰り出産であることを伝えると

いいですよ、とのお返事をいただいて

 

産める場所あったー!と

ようやく、ほっとしたのでした。

 

 

 が、

 

 

なんかしっくりこない。

 

安心はしたが、

納得できていない。

 

 

 

で、それからもしばらく、

ネットで検索してみていました。

 

 

そこで引っ掛かったのが助産院でした。

 

 

その当時の助産師会のページには、

県内に9つの助産施設があるとあり、

 

 

 

ひとつひとつ施設の紹介ページを見ていくと

 

助産院といってもふつうの家のような外観だったり

ここで産みます、という部屋がふつうの和室だったり、

 

どの助産所も、なんとも家庭的な雰囲気です。

 

 

その中で

 

これだ!と手がとまったのが、

 

入院中の食事の写真。

 

ごはんにお味噌汁、

メインにお魚と、

お野菜の小鉢がついていて

 

器もこだわった、心のこもったものであるのが伝わってくるような

 

美しい1枚の写真。

 

 

このお料理を食べたい!

と、

強く思った私は

 

 

 

早速、その助産所に見学に行かせてほしいと

電話をしたのでした。

 

電話越しに、いいですよ、と、ハキハキとはっきりした声。

 

どなたかの紹介ですか?と聞かれましたが

いえ、ホームページ(のお料理の写真) を見て です。と答えました。

 

 

そのころ私は、

人はこれまでに食べたものでできている、

という言葉がすごく好きでした。

 

食べたいものが似ている人、場所とは、

その他のことも合いそうな気がしたのです。

 

 

 

 

 

 

 

里帰り出産を決めるまで

2010年、長女の妊娠がわかったときは兵庫県に住んでいました。

 

 

以前、産婦人科を探して職場の先輩に聞いたところ、

 

知ってる知ってる~~!

(わーい!)

 

○○駅の近くでな~~

(会社の最寄り駅!)

 

私の妹がそこで2回出産してな~~

(リピーター!)

 

入院中にフルコースの豪華なフレンチ食べさせてもらえるねん。

(お食事気になる!)

 

それでな、変わってるのが、分娩室に畳があるねん。

(えー!!!!)

 

 

 

畳~~面白そう~~!!と思った私はもう、自分も畳の上で産む気まんまん。

 

なにかあるとその産婦人科にお世話になっていました。

 

院長先生は丸顔で丸い目をしていて優しい物腰でお話してくださり、

看護師さんたちも待ち合い室の雰囲気も

すごくいい感じの産婦人科でした。

 

 

そしてようやく妊娠検査薬が陽性になったとき、

実家の母は里帰りしたら?と誘ってくれましたが、

 

いや、私は畳の上で産みたいねん。(2年越しの夢となっていた!)

と、断って

いつもの産婦人科を受診したのでした。

 

が、

まだ妊娠5週で心拍が確認できず、

1週間後にきてくださいとのこと。

 

さらにその1週間後に行ってびっくり。

心拍は確認でき、

無事妊娠おめでとうございますとなったのですが、

 

院長先生が体をこわされ、

何月何日予定日以降の分娩を受け付けないことになりましたとの張り紙がされてあったのです。

 

そのデッドラインは私がついさっき聞いたばかりの予定日の数日前の日でした。

 

 

張り紙の前で固まる私

 

 

 

 

今なら、そのまま受付に事情を話して頼み込んでみる、こともしたかもしれないけれど、

 

 

その時の私はそのまま静かに帰宅したのでした。

 

 

 

 

帰って、いくつか産院検索をしてみたけれど、

ビビっとくるところは見当たらず、

 

 

どこもあまりかわらないなら

帰省しても同じかな~~と

(今となってはなんと贅沢な心持ちで!!)

 

里帰り出産を決めたのでした。

 

 

こんなことあるんやなぁ、って

その時は運が悪いなぁとしか思っていませんでしたが、

後から思うと、あれは

それから起こる諸々のすべての始まりだったんだなぁ。

 

 

 

さぁて、

今晩の献立もう決まりましたか?

 

うちは、えんさいです。

 

 

転機のひとつ

始めての妊娠の時は、大手電機メーカーに勤めていた私。

不夜城と言われる部所に配属された時には日付が変わるまで残業することもしばしば。

通勤時間がもったいないからと会社から徒歩数分のマンションを借りて住んでいました。

 

平日は名一杯仕事をして、

休みの日には大抵買い物に出掛け、

また次の休みを楽しみに仕事をする。

 

家族や友達との約束は休みの日限定で、

どんどん先まで予定が埋まっていく生活。

 

妊娠してからはマンションの近くの保育園に見学に行って、

そこに預けてすぐに復帰するつもりでいましたが、

 

緑がたくさん、自然豊かなところで育った私には、

 

車たくさん、

コンクリートがたくさんの中での子育ては

なんとなく違和感がありました。

 

 

でも、

みんな工夫してうまくやってはるし、

私たちも大丈夫やんな。

 

と、その違和感は無視してすすむべし、と

頭で説得してきました。

 

 

 

けれども、

 

 

 

子どもが産まれると、

ますますその違和感が大きくなってきたのです。

 

 

 

この子が育つ環境のことだけでなく、

 

何を食べさせたいか、

大切にしているものは何か、

 

考えているうちに、

 

 

 

職場復帰、できないわ、私。

って結論に至りました。

 

至ってしまった。

 

いや、自分の中ではわりとすぐに感じていた。

 

でもそこで

 

退職することはその時の私にとってすごく勇気がいることでした。

 

だって復帰するって、会社のみんなに言ってきたんですもの。

 

最初の配属の時、工場のおっちゃんに、

女の子やから結婚したらすぐやめるんやろって言われて、

そんなことないですよ~~って返したのに、

あれはウソになってしまう。

 

上司の人には結婚式にまで来ていただいて、

一緒になってもバリバリ頑張りますって、宣言したのにそれもウソになってしまう。

 

お世話になったあの人、あの人、

たくさんの人に、

恩返しもできてないのに、

辞めることは、できない。

 

でも、自分の思うような子育ても、

今しかできない!

 

って。

 

 

 

だから最終的に、よし、やっぱり仕事辞める!って言えるようになるまで

 

半年悩みました。

 

 

 

 

これが私の、

産後の大きな転機のひとつ。

 

子どもがいたからこそ、持てた勇気、

踏み出せた一歩です。

 

 

 

 

 

 

 

自分が主役

大根は、大根おろしになって

焼き魚に添えられました。

 

 

さて昨日、

陣痛の時間が特別だったと書いていながら、

何で特別なのだろうと考えていました。

 

で、

 

痛みに耐えるあの極限状態を体験したこともあるけれど、

 

自分が主役の時間を持てたことが大きかったのではということを思いました。

 

 

 

 

出産当日、

 

助産師さんは、

私が陣痛が来たようですと連絡をしてから、 

 

私を焦らすことなく

 

事前にお渡ししていたバースプランにのっとって

 

陣痛の合間にお話をしたり

腰をさすったり、

赤ちゃんの心音を確認したり

体勢の提案をくださったりしながら

 

優しく、私のタイミングを待ってくださいました。

 

 

急いで進めるも、

どれだけ時間をかけて進めるも

私次第。

 

楽しむも、

怖がるも、

何を感じるかも、

私次第。

 

 

助産師さんは、それを見守りながら、

 

ただ寄り添い、待つ。

 

まったり。

ゆったり。

 

 

 

いつも時間に追われているような、

急かされているような、

効率的なことがいいような気がして、

早く、早く、と、待てないことが多い私にとって

 

まるごと私に寄り添ってもらえたこの時間こそが

 

 

 

自分が主役、になれる、

特別な時間だったのだと思います。

 

ここまで大人になって、

なかなかないです。

自分が主役なことって(笑)

 

 

その時間を体験することは、

これまでぼんやりしていた、自分、という輪郭をはっきりさせるきっかけになるのかもしれない。。と、思いました。

 

 

 

 

陣痛に向き合う私をゆったりと見守って下さっていた助産師さんたちでしたが、

 

主人いわく、

いよいよ産まれるという段階になって

お二人とも顔がキリッと変わり、

テキパキと動きだし、

抜群のコンビネーションで赤ちゃんを取り上げて下さったそうです。

 

 

プロですね~~

 

 

肝っ玉かぁちゃんって感じ。

かっこいいです!

 

 

さぁて、今日はキャベツを食べまーす!

 

 

 

 

 

 

陣痛の時間

出産で、人生が変わる、なんて

 

大袈裟かもしれないけれど、

 

でもあの出産の数時間の体験は

新しい自分と出会う、

かけがえのないものの1つだったと思います。

 

 

 

 

助産師さんや旦那さんのいる安心感の中、

陣痛が強くなっていき

お産がすすんでいく。

 

痛みの波が寄せてくる。

深呼吸、深呼吸、うめき声も漏れる。

 

 

波が引いていく。

赤ちゃんはどこまできたのだろう。

赤ちゃんは大丈夫かな。

 

 

 

そしてまた波が寄せてくる。。。

どうしたら少しでも痛みを逃せるか、

体のサインをキャッチしたいと、もがく。

 

 

繰り返すうちに

どんどん波が大きくなり

自分の感覚に集中していく。

 

自分の内側に内側に、

潜っていくような感覚。

 

 

 

今が何時か、さえもわからなくなる。

 

 

あの極限状態では

とことん“自分”を感じて、

自分の声に耳をすませて、

 

 

そしてとうとう最後には

 

 

温かく柔らかい赤ちゃんが勢いよく

出て、くる。

 

 

 

そのあと家族で過ごす至福の時間は、

なんとも言えません。

 

こんな幸せがあってよいのだろうか。

 

 

 

3回経験して、みんな少しずつ違うけど、

どれも、その時の自分だからこそのお産だったと納得できるし、

 

そのお産の時間をまるごとサポートし、

どのような私も、見守り、

私を尊重してくださり、

母子共に安全であるように尽くしてくださった助産師さんの存在は

本当に尊い

 

 

その時間、関係性があったからこそ、

私は、自分の意思や感覚、というものを

感じるようになったとすら思うからです。

 

 

 

 

さぁて、

 

今日は、大根をお料理します