里帰り出産を決めるまで
2010年、長女の妊娠がわかったときは兵庫県に住んでいました。
以前、産婦人科を探して職場の先輩に聞いたところ、
知ってる知ってる~~!
(わーい!)
○○駅の近くでな~~
(会社の最寄り駅!)
私の妹がそこで2回出産してな~~
(リピーター!)
入院中にフルコースの豪華なフレンチ食べさせてもらえるねん。
(お食事気になる!)
それでな、変わってるのが、分娩室に畳があるねん。
(えー!!!!)
畳~~面白そう~~!!と思った私はもう、自分も畳の上で産む気まんまん。
なにかあるとその産婦人科にお世話になっていました。
院長先生は丸顔で丸い目をしていて優しい物腰でお話してくださり、
看護師さんたちも待ち合い室の雰囲気も
すごくいい感じの産婦人科でした。
そしてようやく妊娠検査薬が陽性になったとき、
実家の母は里帰りしたら?と誘ってくれましたが、
いや、私は畳の上で産みたいねん。(2年越しの夢となっていた!)
と、断って
いつもの産婦人科を受診したのでした。
が、
まだ妊娠5週で心拍が確認できず、
1週間後にきてくださいとのこと。
さらにその1週間後に行ってびっくり。
心拍は確認でき、
無事妊娠おめでとうございますとなったのですが、
院長先生が体をこわされ、
何月何日予定日以降の分娩を受け付けないことになりましたとの張り紙がされてあったのです。
そのデッドラインは私がついさっき聞いたばかりの予定日の数日前の日でした。
張り紙の前で固まる私。
今なら、そのまま受付に事情を話して頼み込んでみる、こともしたかもしれないけれど、
その時の私はそのまま静かに帰宅したのでした。
帰って、いくつか産院検索をしてみたけれど、
ビビっとくるところは見当たらず、
どこもあまりかわらないなら
帰省しても同じかな~~と
(今となってはなんと贅沢な心持ちで!!)
里帰り出産を決めたのでした。
こんなことあるんやなぁ、って
その時は運が悪いなぁとしか思っていませんでしたが、
後から思うと、あれは
それから起こる諸々のすべての始まりだったんだなぁ。
さぁて、
今晩の献立もう決まりましたか?
うちは、えんさいです。